昭和の香り

古谷千佳子

2009年03月21日 01:41


今日は、私の育った町杉並区、、、、最寄り駅JR線・阿佐ヶ
谷にて、ある番組出演の打合せがありました。
「阿佐ヶ谷」のイメージって、私には無かったのですが、雑誌やそ
の他によると「昭和の香りが漂う町」だそうです。そんな事、聞い
たことがあるような、、、、。
、、、で、打ち合わせ場所を私がご案内することも出来ず、某番組
ディレクターさんにお願い、阿佐ヶ谷駅・北口を出て、信号渡っ
てすぐのダイヤ街の中にある「可否茶館」でコーヒーサカンと呼ぶ
お店に入りました。
看板に書かれている「操業明治21年」というのが、本当かどうか
は定かでありませんが、そういえば、私が子供の頃からあったよう
な、、、、。
初めて入ったそのお店は、確かにレトロで、メニューも、昔ながら
の定番の形のホットケーキやあんみつ、、、、。
私は、三角ケーキの上にちょこんと乗っかったイチゴがかわいらし
い、ショートケーキを注文。
珈琲もケーキも、見た目、味ともに、懐かしい感じ。

沖縄に移住し、海辺から街に移り住んだ今、街の人達が「海」に
行った事の無いのに、驚いていた私ですが、自分自身が同じく、地
元を知らない、、、、という事に気がつかされ、ちょっと恥ずかし
いような気がしました。
近くにあるものに気がつかない、すぐそばにある幸せに、気がつか
ない、、、、
いつも遠く掲げた夢に向けて走り過ぎていた自分に気がつかされました。
また「強さの質」についても、、、、。「向かう強さ」ばかり身に
つけようとして「守る強さ」に事を考えた事も無かった。
女である事を認めず、男に負けまい、といつも張り合ってきたよう
な、、、、
どうしてこうも、無い物ねだりなのか、今冷静に自身を振り返る
と、笑えるくらい、、、、歯を食いしばって生きてきたような。
ほんのちょっと視点を変えたら、広がる世界があり、幸せは何処に
でもある。

沖縄の海辺、自然の暮らしの中で、暮らす人々を通し、教わってき
たのは、人間が基本的に必要な事。
陰陽のバランスをとりながら、様々なものが共生する姿。
自分自身が何者か、認める所から始められたら、もっとスムーズ
に、進められたかもね。
「もし」、、、、はあり得ないし、後悔は何一つ無い。私は、イガ
イガ、トゲトゲを身につけて産まれてきて、上流から下流に向かっ
て、ぶつかりながら、そのとげを丸く削られ、磨かれて行く人生に
あるのだろうから、、、(笑)
転がりやすく角が取れたその石は、何者かに掴まれ、別の山から転
がりながら、いろんなものを身につけ、膨らんで行くかもしれない
し、、、ま、石に例えるのが、おかしいのかもしれないが。

ぶつかり、ぶつかり、不器用だった分、同じような場所で躓いた
り、戸惑っている人達を見つけられるかもしれない。何か、声をか
けることができるかもしれない。
出来ちゃう人には、気がつかない所をね。

マイナスはプラスになる。
ゼロはゼロ。
だから、沢山のマイナスを沢山のプラスにすることができる。

打ち合わせ以外のいろんな話をしていたら、あっという間に4時間
近くがすぎ、、、、
一体私は何を話しまくったのか、、、、よく覚えては、いないので
すが、、、、。
最近は、赤ちゃんとの会話ばかり(受け身)で、これからの事を考
えたり発言したり、社会的な情報をもらったり、、、、って時間が
少なくて、色々とたまってたのかな?
しゃべる=考えがまとまって行く、、、、と言った感じで、しゃべ
り終わった今、あれこれ、頭の中が整理されていきます。

東京という故郷には、大切な人がいます。
沖縄も同じく、私の古里。
東京と、沖縄のそれぞれの力を活かしつつ、様々な事を吸収し、
メッセージを発信し続けるために、仕事を作って行こうと頑張って
います。

花粉症発症間近の古谷千佳子でした。